劇団コメディアス密着取材 – ポップな笑いの作り方 その① –

記事:cold_mikan

フレンドと協力して進むパズルアクションワールド『KEY LOCK』が本日11月1日(水)からVRChat上で公開されます。

こちらは11月22日〜26日に下北沢で行われる演劇公演『KEY LOCK』の世界観が元となるクロスオーバー企画です。

『KEY LOCK』の詳細は公式サイト

ゲームワールド公開を記念して、3部に分けて【劇団コメディアス密着取材 – ポップな笑いの作り方 -】をお届けします。

― その① 劇団コメディアスの作劇風景―

「日常から喜劇を作り、喜劇で日常を変える」を理念に小劇場演劇という枠を超えて、ステージパフォーマンス、落語、漫才、ZOOM演劇、VR演劇などオンライン・オフライン問わず、様々なチャンネルで見る人を惹きつけるコメディ体験を届ける劇団『コメディアス』。

彼らの作品作りの特徴は、現実に実在する物や人生の内で一度は触れたことがあるけれど、普段はあまり考えたりしないようなちょっとニッチな法則や構成要素などをストーリーのキーアイテムにして作品を制作している。

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演出家 鈴木あいれさんは何を考え、どのように演出をしているのか。また、現実とヴァーチャルの演劇において、考えられる本質的な問題点について演出家鈴木あいれさん(以下:あいれ)と劇団員岩崎航さん(以下:わたる)にインタビューした。

あいれ

自分の中で、感覚的にストレートで勝負して勝てるっていう感覚がないんですよ。それは人生観みたいなものだと思うんですけど。頭使って、戦略練って、勝ち筋見つけて、計画立てて、隙間を狙っていくみたいな…そういう戦い方が劇団ではなく、まず僕個人としてあると思っていて。

演劇楽しいな、ってやり始めたとき、「面白い劇作家さんはすごい沢山いるし、すごい俳優さんも沢山いる。その人たちに真正面からぶつかっても勝てないだろうな」って­、それぐらい凄いものだなって思ったから…そう­い­うのが最初に原点にあったんです。

「でも、演劇やりたいし、面白いものを作れる」って思って…そのときに思ったのが他の人が手を出していないこと、理屈的に演劇でやるべきなこと、というところを突いていったら、比較的に努力せずにいいところまでいけるんじゃないかと。

あんま努力をしたくないっていうのが根底にあって、その代わり頭はいっぱい使うべきだと思ってい­るんですけど…というのが演劇をスタートしたときにあったんです。

コメディアスの舞台では、役者の自然な反応にまるで観客もその現場に居合わせた目撃者の一人として一緒になり、ドキドキしたり、ホッと胸をなでおろしたりする。

筆者は昨年11月に公演された【ヘーメンキカの魔獣】を観劇した。ストーリーが進行するにつれて製図が完成に近づいていくが、巨大なコンパスを以ってしてだんだんと図形を描くことが困難になっていく不安とコンパスが繋がるか繋がらないかの瞬間のドキドキ感と期待感の高まりを舞台上の役者から観客席へと伝わり、客席と舞台の空間が一体化していく感覚を私自身も感じていた。

あいれさんはコメディアスの作品に出演する役者の魅力を引き出しながら、コメディの登場人物としてのキャラクター像を掘り出していく。彼らは自然に喋り、目の前で起こる物事に対し自然な反応をする。まるで今、偶然、そうなってしまったかのように。

しかし、全て台本通りなのだ。

わたる

コメディアスは稽古しながら、俳優のしゃべったセリフが台本になっていく劇団だからさ。

大まかなストーリーを演出家が役者たちに伝え、エチュード(※筆者注 即興芝居)を繰り返す中で、それらが成形されて台本が出来上がる。実際のコメディアスの作品作りの稽古場を見学させて頂いた。役者はシチュエーション毎に自由に動いて自然に反応し、演出の仕事は収束させることのように見えた。

稽古中、コメディとキャラクターとしての個性について印象的な話をしていたので紹介したい。

あいれ

自己申告でいいけど、どっちがウケるって、普段から判断してる人――!

あいれ

エチュードの時にどの程度、お笑い的な部分を意識できるといいのか。お笑い的な話をしていこうと思います。

天丼(※筆者注 同じボケを2度続けることで笑いをとる手法)ってなんで機能するかっていうとストレス軸(※筆者注 ストレスゲージ)と同じで、天丼て要は一個のストレス軸に対して積みあげていく。同じ軸方向で積み重ねるから天丼になる。誰かがさっきやっていたことに対して「お前、やるなよ」と、もう一度同じことを言う乗り方とか。しかもそれを言われた人が、「いや、やらない」ってある程度想定し、それが分かった上でやるのが(笑いをとる手法として)いいことだなっていう風に思うんですよね。これを別の人に対していったら、軸の意味がない。意味不明になるんです。

(相手の即興演技に対して)乗るか乗らないかの価値判断に、演じているキャラクターの性格が出てきたり、個性みたいなものが出てくるんです。今(みんながやってくれたエチュード)って電車がホームに来たなら目的地も観ずに乗っているなぁと思って。乗った結果どうなるのか、乗ることが自分や舞台に対してどういう影響を及ぼしそうなのかをある程度想定できた方がいい。これは訓練で身に着ける必要があると思うんですけど、「このノリって乗った方が良いノリなんかな」とか、「乗らんほうがいいんかな」とか、「このボケって放置したほうがいいボケなんかな、それとも突っ込んだ方がいいボケなんかな」とか…っていうのは全部やった後の結果をぼんやり想定することで判断できるんですよ。

それをやった結果、どういうことが起きるのか、ある意味現実とはちょっと違って、エチュードするときは、ここも絶対考えてくださいと…強くは言えないんだけど、ちょっとは想定つけながら演技を構築したほうがエチュードにおいては良い気がすると、僕は思ってる。

先を読む能力を発達させようということと、もう一個はその先を読んだ結果、発生することが面白いことなのかどうなのかっていうのを判断する能力を設けよう。

この二つが備われば基本的にお笑い的な、何に乗るべきか、何に乗らないべきかっていうものの判断が自分で出来ると、僕は思ってるんです。

例えば、現実の世界だったら、「これ言ったら、この人、絶対怒るな」ってあるじゃないですか。これが想定の部分。割とこれはみんな出来る。現実の場合は、「だからやめておこう」となる。なぜなら、「言った方が怒るな」と想定できるから、「じゃあ言おう」なんて選択肢はなくて。ただ、劇の場合は、「これ言った方が怒るな。じゃあ言おう!」ってなった場合、今のシーンは、怒らせた方がいいのか、怒らせない方がいいのかっていう価値判断が入ってくる。つまり「あ、これは怒らせたほうがいいな」って判断がつけば、あえてその行動をとることが出来る。これが劇やエチュードでいうところの、うまいこと受けられる・ボケられる人…彼らはこういう判断基準で動いている。

倒れるときに痛がれ!というのもこの話に近くて、現実だったらデカい声で「痛ったぁぁぁ」言わない方がいいけども、「ここはダメージ受けている人の方が面白いに繋がるから痛がりましょう」みたいな…。

例えば、対立が激化してストレス軸が積み上がってく方が面白いなら、謝ったらその軸を下げる行為になる。だから謝らない方がいい。リアリズム・バイオリズム的には謝りたい気持ちになるのに、あえて謝らないという選択肢をそこで取る。あえて面倒くさいほうに行った方がいいって価値判断を選び取れると、よりお笑いネタだな、って話ですね。

他の場合だと、役者さんが困れば困るほど、追い詰められている時にお客さんが同じようにストレスを感じて面白く見える。

エチュードをやってもらっている以上、僕の思い通りに動いてほしいって思っている訳ではないんですよ。台本を最初から書かない理由は僕の思い通りに動いてほしいと思っているからではなくて、役者さん本人がその場においてどう感じるかとか、どうしたいかっていうところをまず大事に、その事象に出会ったときにどうしたいかっていうことが大原則で在る。一方で、役者さんが動くときにこうしたいって思っても、「でも、こっちもできる」という様に、AとBの2個の世界があるかもしれない。Bに行った方が今のストレス軸的にストレスが溜まる方向に行くとか、今ノリ的に面白いってなった時はBに選択できる嗅覚と判断を持てると、よりエチュードも良くなるし、本番は絶対不測の事態が発生するので、その時の判断基準として、どっちに行けるのかが鍛えられる気がします。

だからもし、エチュードやっていて、今のってどっちでした?みたいなものがあったら聞いてほしい。これいま僕どっちに行ったほうがいいんですかね、なんて聞いてくれたら「お前、こっちやで!」とか「お前はわからんわ!」とかいろいろあると思う。

稽古後、コメディアスの芝居の作り方について伺った。

あいれ

皆には自由にやってもらって…。

わたる

あいれさんがやっていることは、枝葉を切っていくこと。

あいれ

ないものを作るのはむずいんだけど、あるものを削るのは簡単なんですよ。

イメージ的には、劇がデカい動物って感覚で、デカい動物を「うぉぉ~、こっちだぞ!こっちだぞ!」ってする感覚に近いね。そいつがある程度動いてくれてたら「おぉ~いいぞいいぞ、こっちこっち」って動かせるんだけど、デカい動物が構えちゃって動けなくなっていたら「おう!うごけ!うごけ!」っていうのがなかなか大変で…。

コメディアスの舞台に出演している役者は芝居に向かう姿がそれぞれ個性的で魅力に溢れている。彼らはどのようにしてコメディアスに集結したのか。演出家として役者をキャラクターに昇華させる視点はどこにあるのか。また、様々なジャンルの中で何故コメディを選ぶのか。

劇団コメディアスの成り立ちと演出家としてどこに注目しているのか伺った。

あいれ

初めて作品書いたのは『とうほく学生演劇祭』という演劇祭に出したときで、6校くらい大学・チームがあって、チームが競い合って審査員が選ぶみたいな大会があったんです。

その時に、制限時間は45分だったから、これは使わない手はないなと。45分間で舞台を全部片づける。舞台の上を綺麗にする…いわゆる、タイムアタック的な劇を公演したんです。

その目の付け所が超良いな、って自分でも思ったんですよ。他はやらないだろうな、って。その『とうほく学生演劇祭』が第1回だったので、今回やらないと、他が誰か思いついてしまうだろうから今やっておこう、と思って上演した演目がめちゃめちゃウケて。それが、劇団を続けていけるなって思えたきっかけにもなったんです。

最初に仙台でやって、次に京都で公演して。そっちでも賞をいっぱい貰って。そのあと、その足で名古屋に行って、全然ウケなくて凹むっていう…(笑)

まあそういう意味でも、色々勉強になった作品だったんですけど。

出演した役者も、演劇部の仲間から集めたんですけど、演劇部の中でも「この人演技うまいね」とか「この人上手だね」って言われてる人たちから選んだんじゃなくて、ちょうどその時期に他の公演に出てなくて、予定が空き気味な人を選びました。その時にいたのが、武長君とわたると大橋。

池田君とかはそれこそ「友達のサイクリング部に面白いやつがいるんだけど。ちょっと一緒に飯でも食わないっスか?」ってとこから、話してみて「面白いね。次、出てみない?」というとこから、ちょっと基礎が固まっていくみたいな…。

他のメンバーも、割と面白いやつだけど、別に俳優として演劇部の中でうまいってわけじゃないやつを集めて、個人の尖ってるところを全部引っ張り出すような作品作ったらいけるとこまでいけちゃった。それで、「あぁ、このやり方って結構、楽しいんだ」って思ったのが最初だったんですよ。

あいれ

そのあたりから演劇やるときに、『我々は今の演劇にないもの…他の人がやらなさそうで、だけど絶対お客さんが見たいと思っていることをどんどんやっていくべきだろう。それができる頭はあるし、それについて来られるチームではあるな』と思って作品を作っていました。

それで仙台にいる間は、45分間でキッチリ片づける【ファイナルカウントダウン(※観劇三昧で配信中)】という演目、木とロープで塔を建てる【トートラインがゆるんだら】、そのあとの3作品目が今回11月に再演する【KEY LOCK】になります。

あいれ

何故、コメディ専門でやっているのかというのは、結果が分かりやすいから。理系なので、実験したら結果が知りたいんですよ。この実験の結果はこの薬品はこうだ、っていう。だから、演劇でもお客さんが笑っているというのは、成功って言っていいんです。その笑いの意味合いが「あの役者、失敗してんじゃん」って意味合いだったとしても、お金を払ってきてくれた観客が、結果的に笑ってくれたら、それは少なくとも失敗じゃない。

例えば、感動する物語を書いたときに、観客は声をあげて泣かない。そういった意味でも、コメディのほうがその指標が分かりやすい。結果がわかりやすいものをやりたい、っていうのがコメディやっている理由で、あとは単純に、自分は関西人なので普通にお笑いが好きってのが合わさってコメディになっています。

やろうとしていること自体が変なことなので。つまりコンパスと定規とか使ってだとか、変なことをやることになるので、コメディにする方が一番持って行きやすい。次に持って行きやすいのが、ミステリーとかサスペンスとかの推理もの。あれも半分コメディというかギャグだろう、みたいなトリックもありますよね。そういう仕立て方はあるかもしれないけど。基本、変なことをやるっていうことがベースにある以上、コメディになるのかなって思います。

『それ舞台ではやらんだろ』『それ、デカい声で、言わないだろ、フツー…』っていうことが大事だと思っていて。

例えば、【KEY LOCK】で使用する『マグネットお絵描き』…まず、あれが普通、舞台に登場しないだろうというのが、先にあって。テプラなんか、会社でも事務の人が使っているくらいの距離感じゃないですか。それらがあんな50人とかの前にバーンって登場することなんて普通無くて。マグネットお絵描きも、棒で消すとかいう動作とか。一方向からしか消せないということとか。あんまり言わないことというか…でも、言われてみれば、ちょっと興味あるみたいな。

一般的な言い方をすると、必ず存在しているのにあんまり見られないものっていうのをお客さんは見たがるって思っています。それは例えば、ラブコメってジャンルがあるけど、現実では人の恋愛ってあんまりそんなにずっと見ていちゃいけないじゃないですか。でも、確実に存在している。サスペンスも、殺人事件て、実際に存在しているけど、目撃者にはなりたくないですよね。確実に存在しているけど、観られないもの。だから観たい。…そんな根源の中で、だからテプラとか、その辺も結局存在しているけど、普段そんなに見つめないっていうところから来ているのかなっていう風に思っています。

【ヘーメンキカの魔獣】もそう。作図って我々理系だからアレだけど。人生でみんな一度は経験するでしょ。で、割と厄介なものじゃないですか。面倒くさいし。だけど、そんなところからしばらくは離れていたけど、でも一定の美しさとか楽しさがあって。うまくできると楽しいみたいな。絶対美しいよね。あれって、最初に書き方を考えた人がいて、しかも計算上もあれで描けるってことだから、描けない図形も計算上出せる訳でしょ。これは、描けませんっていうのも。そういう確実にあるものをみんなの前で演目にして上演するっていう…作図っていう行為そのものに生み出す面白さがある。あとは、それをやっぱり手元の小さなコンパスを大きくして、皆の前で言うってところが背徳感。

これは【Bの悲劇】の『阝(こざとへん)』と一緒です。『阝(こざとへん)』の話も、皆の前で普通はやらないよねってところと、コンパスと定規の話は舞台上でしないよねってところは同根の話だったりします。

あいれ

付き合いが長いほうがやりやすいというのは大前提として、一番使うのは、こいつヤだなぁ…と思うポイントがあったらそこはもう捕まえるべきだと思っていて、自分がその人に対して、イラっときたり、やめてくれって思った瞬間を逃さない方がいいポイント。それって、ツッコミどころだし、僕からしたら嫌だけど、観客は笑ってスッキリする。それは逃さないようにしてます。

VR演劇版『Bの悲劇』を作るときにも「この人、変だな」っていうのを早く見つけたいって自分は思いながら演出していました。この人ちゃんと人の話聞いているのかな、この関係性はたから見てると意味わからなくて良いな、この人結構意地悪なんだな、と思ったところが面白いポイントとして逃さないようにしました。逆に良い人になろうとする役者さんだと、どうやって崩そうかなって苦労したりしますね。

(第一回 了)

→第二回 新奇性のある体験-ZoomやVRを活用したリモート演劇の活用-』に続く (11/10更新予定)