井の頭公園のエルフの物語#2(メタバース連載小説)

-井の頭公園のラスクちゃんはお砂糖とお塩でできている(前編)-

 私の友人が、興味深い話を持ってきた。普通の少女のように見えるが、この井の頭公園の池の竜神の娘であり、エルフである私にとっては大家と言える存在である。そんな彼女と私はよく酒を酌み交わす仲で、つい先日一杯引っかけようと井の頭公園の駅前で待ち合わせていた。ほどなくして彼女が現れる。高貴な存在であるはずなのだがどことなく人当たりがよく、親身になって接してくれる。そして何より、話が上手なのだ。私を見かけると、手を振る彼女。それを見かけた私は会釈する。

「お久しぶりっ。最近、元気してた? 先生の書く話は面白いから、今日も一つネタを提供しようと思って、ね……」

 この地の主ともあろう者から、書く話が面白いと言われるのは照れくさいものだ。

「続きはテーブルで、ね!」

 うなずいた私たちは、そのまま居酒屋ののれんをくぐったのだった。

「あ、お待ちしていましたよ。こちらへ!」

 大将の威勢のよい声が響く。この居酒屋は実に狭いが、実においしいものが食べられるのである。とりわけこのお店のおでんは薫り高い出汁にほどよく煮込まれた大根、そしてその上に乗せられたとろろ昆布が実においしいのである。この出汁が美味しいが故に、出汁で日本酒を割るとすんなりと胃袋におさまってしまう魅惑の出汁割りが出来てしまうのである。だが、それ以上に私の目を惹き付ける一本があった。東村山の八国山の近くで作られている屋守という清酒である。実のところ、この存在を教えてくれたのは私の友人なのだ。長らく会っていないが、一時期落ち込んでいた私を励ましにと飲みに連れて行ってくれた人だ。その友人から、物書きになってみたらどうかと勧められたのである。尤も、物書きという夢においてはあの学園の講師として出会った人の存在も大きいのであるが。

「では、私はいつもの出汁割りで。で、お通しは茄子の湯通しで……」

 竜神の娘が酒を頼む。続けて、私も屋守を頼む。お通しは自家製の叉焼を選んだ。そう、この店のお通しは選べるのだ。そういう所が、実に気に入っている。
 しばらくして、一升瓶と木の枡、徳利が運ばれてくる。大将は木の枡に徳利を乗せると、並々と酒を注ぐ。枡には井の頭と書かれている。実に粋な計らいだ。続いて大将は湯飲みに日本酒とおでんの出汁を注ぐ。

「へい、お待ち!」

 華やかな出汁の香りが、隣の席まで漂ってくるのである。これはたまらない。だが、目の前の一合を片付けないと行けないのだ。私はおちょこに酒を注ぐと、友人と杯を交わす。

「そういえば、あれをやりたいのだけど……これ、どうやって使うんだっけ?」

 そう言って、竜神の娘はバッグからスマートフォンを取り出す。我々の間では、スマートフォンに自撮りを写してそれをオフ会の証拠写真に撮る文化があるのだ。私はエルフだとはいえ、スマートフォンは当たり前のように使っている。だが、教えるのは難しいのである。なんだかんだで自撮り写真を表示させると、それを並べて私のスマートフォンで写真を撮るのだった。

「そう、話の続きで……」

 竜神の娘は話を続ける。その話に、私は耳を傾けるのだった。これから書く話はその時に聞いた話が題材になっているが、記憶通りに書けているかは気にしないでほしい。わからないことは想像で補わざるを得なかったのだから。

 お花見の頃、一人の猫耳娘が、井の頭公園の駅前で恋人を待っていた。満開の桜の下で恋人を待つ少女の名前は、ラスク。ショートカットのボーイッシュな女の子だ。だが、今日はおめかしをして白のワンピースに身を包んでいる。手には手作り弁当の入ったバスケット。これで恋人といっしょにお花見をするのだろう。ちょっとばかり遅れるという連絡が恋人から来る。

「もう、あなたったらいつも時間にルーズなのね……」

 腕時計を見つめてラスクは愚痴を漏らす。ほどなくして駅に急行電車が入ってきた。普段は停まらない急行電車も、花見の時期にはこの駅に止まる。降りてくる人の波の中に見知った姿を見つけたラスクは手を振ると、その恋人が手を振って応える。その名はハオランという。ラスクの幼なじみで、ちょっと少年のような若い身なりをしている。性格も少々だらしがないところがあるが、ラスクはそんな彼に世話を焼いてきた。

「ごめん、いろいろやることがあって遅れちゃって……」

 ハオランがラスクの手を取り謝罪の言葉を述べる。いつものことではあるが、もう彼女には慣れっこだったのだ。そんな二人は手をとりあって花見でごった返す井の頭池の畔に向かう。だが、あらかた食事できそうなベンチはすでに埋まっていたのだ。

「どこも、埋まっているね……どこか空くまで、ボートに乗らない?」

 ハオランがラスクをボートに誘う。

「池の桜をボートから眺めるのは素敵ね。行きましょ?」

 そんなラスクもハオランの提案に乗ったのだが、ボート乗り場にたどり着いてみると、そこには長い行列が。しかも、よい体つきのお姉さんが目の前にいるではないか。ハオランは、彼女に目を奪われてしまったのだ。

「私とのデートなのに、誰のことを見ているのよ……」

 ラスクの思いは張り裂けそうだった。折角のデートで、他の女性を見てにやけているハオランの姿にラスクは怒りを感じていた。私のための時間なのに、と思ったことだろう。
 やがて、二人はボートに乗り込んだ。白鳥を模したこのボートは足こぎ式で、二人の息が合わないと前に進めないのだ。お姉さんのことが気になるのか、ラスクとの息が合わないハオラン。ラスクは大学生である。バイト先に休みをもらってデートしているのだが、替わりのシフトをまだ入れていないのだ。こうなると、今日が全くの無駄になってしまう。ラスクの怒りは頂点に達した。

「他の女を見てデレデレしているなんて、今日私といっしょに過ごすんじゃなかったの?!!!」

 ハオランは目を伏せたままだ。気まずい空気が、ボートを包む。

「そろそろ時間ね、戻りましょ……」

 ラスクはボートを下りたかった。恋人の視線が自分にない以上、恋人関係を続けていてもよいのだろうか。ほどなくしてボートは桟橋に着いた。ボートを下りるなり、ラスクは重い口を開く。

「これまでいっしょにいたのに……あんな女に目を奪われるわけ?」

 ハオランは下をうつむいたまま何も答えられなかった。

「もう、別れましょう?」

 折角の時間を無駄にされた怒りに、ラスクは重い決心をせざるを得なかったのだ。無言でハオランの元を去るラスクに、ハオランはどうすることもできなかったのだ。

「あら、恋人さんと別れてしまったのね? お話、聞いてあげるわ。何なら、花見酒を一杯、どうかしら?」

 ハオランに声をかけたのは、先ほど前に並んでいたお姉さんである。年上の女性の色香に惑わされたハオランは彼女についていってしまったのだ。

(後編に続く)