井の頭公園のエルフの物語#3(メタバース連載小説)

-井の頭公園のラスクちゃんはお砂糖とお塩でできている(後編)-

 一方、ラスクは池の畔のベンチに腰掛けて二人分のお弁当を食べていた。折角用意したお弁当を無駄にするなら、食べ尽くしてしまおう。真心込めて作った卵焼きにたこさんウインナー。彼の目も楽しませようと、様々なおかずを作ってきたのに……。
 ラスクは二人分のお弁当を食べ尽くすと、公園の中を泣き顔で一人散歩するのだった。弁財天の前まで来たとき、この池の都市伝説を思い出した。この池には竜神が住んでいて、仲の良さそうな恋人たちを見かけると嫉妬のあまり別れさせてしまうという。この竜神と弁財天の信仰が結びついた結果がこの弁財天であるといわれているのだ。特に、ボートに乗った二人は必ず別れるという。あやふやに聞いた記憶に、ラスクは自分たちが竜神の嫉妬に触れてしまったのだと思い込んだ。目の前の賽銭箱に五円玉を投げ入れ、竜神様お赦しくださいと祈るラスクの姿に、竜神の娘は申し訳ない思いで一杯だったのだ。

「私は、嫉妬なんかしてないんですけどね……これ以上悪評が広まっては……」

 その様子を見た竜神の娘は女子高生の姿になってラスクの恋人を探すのだった。彼女は七井橋にさしかかった。ボート乗り場の脇にある大きな橋だ。よく見ると、少年に見える青年が倒れている。どうやらしこたま酒を飲まされたらしい。そして、その傍らには妖艶な美女が。彼女は青年のポケットを探って何かを探しているようだった。物盗りだろうか。だが、美女の気配に竜神の娘は記憶があった。外来の妖怪、サキュバス。男をたぶらかせて堕落させる妖怪だ。酒場を営みそれ以上に害を与えないサキュバスもいるというが、眼前のサキュバスは酒を飲ませて酔い潰させ、おまけに何かを盗もうとしている。さすがに竜神の娘は見ていられなかった。

「この池で狼藉を働くなんて……この池の主として、お帰り願いましょうか!!」

 竜神の娘は直ちに本来の姿を取り戻すとサキュバスに噛みついたのであった。何も取らずに逃げようとするサキュバス。

「逃げるぐらいなら、私の霊力で退治してあげますよ!!」

 霊力でサキュバスを縛る竜神の娘。サキュバスはもはや動くことも出来なかった。そこへ羽根を生やし白い服を着た女性たちが空を舞ってやってきた。

「地元の守護者の方ですね。私たちは天界から来まして、悪事を働く悪魔たちを追っていたのです……」

 彼女たちの話によれば、天使は神に背き悪事を働く悪魔たちを取り締まっているとのこと。元々は悪魔も天使だったのだが、神に背いて悪魔になったのだという。
 そんなサキュバスも、悪魔である。この池で狼藉をはたらいていたのは、サキュバスだったのだ。人を堕落させる悪事には、天使達も黙っていなかったのだろう。天使達は捕縛されたサキュバスを連行すると、ありがとうとばかりに会釈する。

 さて、倒れている青年を介抱しなければとおもった竜神の娘である。肩を叩くとぼんやりと意識はあるようだが、身体が麻痺しているのか動かせないようだ。服の上から身体を叩くと、財布は無事なようだ。だが、このままではこの青年の命が危ない。それに、竜神が嫉妬するという伝説も尾ひれがついて広まっていくだろう。とにかく、助けを呼ばなければ。竜神の娘は大急ぎで住まいの弁財天のお堂に戻ろうとしたのだった。だが、助けはすぐそこに近付いていたのである。

 ラスクは己の気が短かったと反省していた。駅まで帰ろうと七井橋のたもとに来たときだった。何やら人だかりが出来ている。そして、誰か助けてくださいと叫ぶ女子高生らしき少女。その頭には、竜の角のようなものが生えている。

「な、何があったんですか?」

 恐る恐る女子高生に話しかけるラスクの手を取り、その女子高生は倒れている人の元に案内する。その倒れている人の姿を見て、ラスクは驚くことしかできなかった。倒れていたのは、ハオランだったからだ。言葉もなく、ラスクはハオランの脈をとる。脈はまだある。意識もまだありそうだ。だが、一刻も早く救急車を呼ばなくては。

「とにかく、救急車を呼んでください! 私の、大切な人なんです!」

 女子高生に詰め寄るラスク。スマートフォンを取りだして連絡をしようとする女子高生だったが、使い方がわからないのかパニックになっているようだった。機械の操作に疎いというのは、今時の女子高生ではないのではないか。そして、頭に生えた竜の角。まさか、この人は竜神の娘なのでは……。まさか、私たちに嫉妬して、仲を裂こうとしたのか……。だが、目の前に倒れている人を前に、ラスクは自分で救急車を呼ぶしかなかった。スマートフォンを取りだしたラスクは救急車を呼ぶ。

「ごめんなさい、あなたに迷惑をかけてしまって……」

 女子高生がラスクに話しかける。その女子高生から語られた言葉は、意外なものだったのだ。

「いかにも私は、この地を護る竜神です。ですが、私は恋人たちに嫉妬していません。しかも……」

 最近サキュバスと呼ばれる男を堕落させる悪魔が悪事を働いていることをラスクは知ったのだった。しかも、竜神の悪評を流布することでこの地の竜神の力を落とそうとしているらしい。その悪評に竜神が苦しんでいることも、彼女の口から語られるのだった。

「実は、私、恋人たちがイチャイチャしているのを眺めるのが好きなんです……」

 だからこそ、恋人たちの仲を裂き、男を堕落させようとする悪魔の所業が赦せなかったのだ。ラスクは、竜神の娘が語ったことは正しいと確信したのだ。ほどなくしてストレッチャーを引いて救急隊が駆けつけたのだった。

「私も、いっしょに行かせてください。私の、大切な人なんです!」

 ラスクはハオランを搬送する救急隊に同行することにしたのだった。救急隊員はハオランを救急車に乗せると、ラスクに同乗を促した。サイレンを響かせ、病院へ向かう救急車。その中で、ハオランの視界にラスクが入る。ラスクの涙が、ハオランの頬に落ちる。

「ごめんなさい、ちょっと、カッとなってしまって……」

 ラスクは救急車の中でハオランを赦した。全ての真相を知ったラスクには、ハオランを赦す余裕が出来ていたのだった。

「もう一回、やり直さない……? 私が、悪かったから……」

 こくりと頷くハオラン。かくして、二人の絆はより強くなるのであった。

「と、そういう話があったのよ……」

 経験した修羅場の話をする竜神の娘の話を聞いた私もほろ酔い気味だった。明日は大阪から知り合いが来るということで、早くに迎えに行かなければならないのだ。〆の明太バターうどんが運ばれてくる。この熱々の鉄板にのせられた、バターの香り漂う焼きうどんが美味しいのだ。それを一口食べようとすると、友人は言葉を重ねた。

「この話を、書いてほしいんです。私のせいで恋人たちが引き裂かれるという悪い噂は、もう過去のものにしたいんです……」

 悲痛な顔を見せる友人の頼みを、私は聞き入れるしかなかった。この話は、ちゃんと書かなければならないのだ。
 そんな友人と店を出る。商店街の中にチーズケーキのお店があるとのことで私たちは入ってみた。そこにあったのは井の頭公園ラスクというお菓子だった。ふと、思い出したのだ。ラスクという娘の物語を。この話に絡んだお菓子を持って行くのも、悪くはあるまい。私はお土産にと八個ほどラスクを買い求め、家に戻るのであった。

 翌日、私は秋葉原に足を運んでいた。大阪から来た友人たちとあって秋葉原のイングリッシュパブで飲むことになっていたからだ。友人に会い、私はラスクを渡す。そんなラスクを食べ始める友人たち。

「このラスク、めっちゃおいしい。止まらない!」

 大阪からの友人の言葉に、私はこの話を書こうか迷っていた。

「美味すぎて、手が止まりませんわ。パクパクですわ!」

 もう一人の友人もこのラスクのおいしさに驚いているようだ。ラスクの空き袋を手に取って私は驚いた。材料の中に、砂糖と塩の二つの単語を見つけたからだ。我々の間では恋人達のことを甘いお砂糖になぞらえる一方、失恋のことをお塩と呼んでいるからだ。これは、この話そのものではないか。このラスクと共にこの奇譚も記憶してほしいと、私はこの話を語る決心をしたのだった。

(終)