井の頭公園のエルフの物語#6(メタバース連載小説)

ー君の笑顔でも治らない病(後編)ー

 浴室の外に出ると先にラスクが待っていた。
「やっぱり、草津の湯は熱かったわね……でも、万病に効くみたいだし……」
 ちょっと上気した頬がまた色っぽいのだ。ハオランは考え込んでいた。これから西の河原で混浴するとなれば、ラスクの姿を見ないではいられないのだ。一応温泉には水着を着て入るし水着を着ている彼女の姿も見たことはある。とはいえ、その姿を見たときに彼は理性を保っておけるのだろうか。しかし、ラスクと離れたくないし、ラスクに何かがあったらと思うと心配なのだ。かくしてハオランは少し湯畑の周りでほてった身体を冷やしてから西の河原の露天風呂に行こうと思ったのである。
 その一方、ラスクはハオランが成長したと思いつつも、本当に恋心を抱いているか心配になっていた。もう少し、ハオランとの距離を縮めたい。救急車で運ばれたあの日以来、ハオランは成長しようとしているように見えた。昔は何かあるとすぐにラスクに頼ってくるような彼が、彼女の荷物を持ち、テキパキと旅の手配をしている。信じられなかったのだ、こんなに成長するなんて。今のハオランなら、将来を誓い合えるとラスクは思っていた。だが、今のハオランは、ラスクに近付きすぎることを意識的に避けているように思えたのだ。甘えようとしないハオランは頼もしくあるが、ラスクは一抹の寂しさを感じてしまっていた。こんなことは思いたくないが、まさか、彼は彼女から離れていこうとしているのではないか。考えたくなかった未来が頭をよぎる。
 だが、それは予想外の方向で裏切られるのだった。湯畑の滝の前で、ハオランはラスクの手を取り思いを語り始めたのだ。
「ラスクさん、愛しています。一生かかってでも、あなたを護ります。だから、死が二人を分かつまで、いっしょにいてください!!」
 この言葉を、待っていた。そして、ラスクは首を縦に振っていた。断る理由など、全くない。無言で抱き合う二人の目には、うっすらと涙が浮かぶ。
「……喜んで。これからも、よろしくね……」
 ラスクもハオランの耳元で返事をし、力を入れてハオランを抱きしめる。今、まさに、思いが一つになったのだ。
「まだ、指輪は先だけど……あいさつには行かないとね……」
 二人は将来を思い浮かべていた。失敗をしてしまうこともないとは言えないだろうが、この二人ならお互いを支えつつ未来を創っていくことができるだろう。私は、信じている。この二人に幸いあれと。

 そしてお互いが喜びに包まれた後、ハオランは大事なことを思い出した。そう、西の河原の露天風呂でいっしょのお風呂に入るのである。
「そうだ、西の河原のこと、忘れてた……」
 こくりと頷くラスク。彼のために、早速新しい水着を選んだのだ。初めて見せるのが海ではなく温泉なのはちょっと予想外ではあったが。そんな二人の道は、もう決まっていた。
「お、カップルさん、温泉饅頭はいかがかな?」
 また後でと言いつつ手を振って断るハオラン。そんな二人は、草津温泉の西の外れにある西の河原の露天風呂の入口にたどり着いた。受付を済ませて、更衣室の前で別れる二人。この西の河原の露天風呂は普段は男女別浴なのだが、金曜の夕方に水着着用の混浴露天風呂になるのだ。脱衣所にたどり着いたハオランは早速黒一色のサーフパンツに足を通す。かなり若く見られる彼が子供っぽく見られない水着を選ぶのは当然だった。もう酒も飲める歳ではあるが、ぱっと見では少年のように見える。大学のゼミの飲み会などでは決まって免許証を見せろと言われるのだ。そんなハオランが持っているのはマニュアルも運転できる普通車の免許と二輪の免許。これはラスクも同じだ。まだバイクは持っていないが二人でツーリングに行けたらという思いはあったりする。ゼミのその先を考えているハオランにとってはまだ遠いものだとは思っているのだが……。ともあれ、着替え終わってハオランは露天風呂へと向かう。あまりにも大きな露天風呂に、心は開放的になる。その中に初夏の風と鳥たちの奏でる音楽が聞こえてくる。そして、ハオランは考えていた。ラスクはどんな水着を着てくるだろうか……。
「お待たせ!」
 ほどなくしてシースルーの白のタンキニにデニムのような生地のミニスカートを穿いたラスクが扉を開けて入ってきた。白のタンキニの下にはおとなしめの黒のビキニ。子供っぽくなく、それでいてボーイッシュな彼女のイメージに合った水着だ。その可愛さにハオランの顔は真っ赤になる。
「うん、今日のために、選んだんだから……」
 いつも元気で気さくで周囲の注目を集めていた彼女。それが、自分のために水着を選んでくれたという事実。それだけでも、ハオランの胸は高鳴っていた。そんなラスクはハオランの隣に座ると彼の手を握りささやいたのだった。
「ほんと、今日はありがとう……素敵な一日を……」
 ハオランの胸の高鳴りはもはや限界だった。すっかりゆでだこのように真っ赤になる彼の顔。ラスクから見ても彼は端正な顔立ちなのだが、いろいろと不器用でうまくいかないという思いを抱えて生きていた。だが、今のハオランは成長している。そんな彼が成長したことで、ラスクも胸の高鳴りを覚えていた。お花見の前にも何回かデートはしたことはあるし、その過程でキスもしたことはある。だが、今ほどの胸の高鳴りをどうにかするには、ハオランの横顔にキスをするのがよいと思ったのだった。そして、ラスクの唇はハオランの頬に触れた。愛おしいパートナー。その突然の一撃にハオランの鼓動は限界近くになっていた。だが、何とか落ち着きを取り戻すことはできた。肩で深呼吸をするハオランの様子もまた、ラスクにとっては愛おしく見えたのだった。そんな空は、夕焼け色に染まっていた。この夕日は、一生の思い出になるだろう。ラスクの肩を抱き寄せるハオランに、彼女は安心感を覚えていた。そして、ハオランもラスクの肌のぬくもりに触れるのだった。その横顔は真っ赤に染まっていたが、満面の笑みを見てハオランは思いを通じ合わせられたことを心から喜ぶのだった。ハオランはラスクの手を握り、精一杯の言葉を託すのだった。
「これからも、いっしょに……」
 首を縦に振るラスク。もう、二人の間に壁はない。目の前にいるのは、将来を誓った相手なのだ。死が二人を分かつのだろうか、いや、死ですら、二人を分かたないのであろう。その愛を、祝福せずにはいられないのだから。夕焼け色に染まる二人の姿は、この世のものと思えないほど美しかったのだ。
「思えば、いろいろあったわね……生徒会の選挙に立候補したときのこととか……」
 ラスクはハオランが生徒会長の選挙に立候補したときの思い出を話し始めた。あの時は頼りなかったということもあって支持を得られずに落ちてしまったのだ。落ち込んでいたハオランをラスクは励ましたこともあった。それに、校外行事で道に迷ったときのこととか。ハオランにとっては忘れたいほどの黒歴史も知っている。でも、ハオランはラスクが彼の隣を選んでくれたことを信じられなかった。もっと格好良い男子と恋人になると思っていた。だが、今、隣にいる。そして、これからも。だからこそ、彼女を支えられる人になろう。ハオランの志は、今、固まったのだ。

 この話を書き上げてから数日後、二人と竜神様と私でまた例の居酒屋に集まって土産話を聞いていた。
「将来を決めたんですね。おめでとうございます!!」
 竜神様も大いに喜んでいるようだった。
「末永くお幸せにな。君達なら、どんな苦難も乗り越えていけるさ……」
 私も二人に祝辞を述べる。その様子に顔を真っ赤にするハオラン。その手には、ラスクとおそろいの指輪が輝いている。
「実は、今日、届を出してきまして……」
 あまりの早い展開に驚く私と竜神様。
「うん……新居もこの近くだし……」
 ラスクの言葉に、目を白黒させる竜神様。二人ともまだ学生の身ではあるが、もう結婚したなど早すぎではないのだろうか。だが、二人ならやっていける。そうとも思っていた。
「そうそう、そういえば今日姉さんがあいさつに行きたいって言っているんですが……」
 ラスクは話を進める。ラスクの姉はイラストレーターで漫画も書いているのだという。いくつか年上でもう社会に出ているのだが、なかなか出会いはなくて困っているようだ。もちろんハオランのことはラスクが幼い頃から知っているのであるが、先に結婚されるとは思いもよらなかったらしい。
「で、今、お姉さんはどこにいるんですか?」
 竜神様がラスクに質問する。その答えは、意外なものだった。なんと、もう、駅前に来ているという。
「そうだ、大将、もう一人追加になっていいかな?」
 幸いながら席には空きがある。二つ返事で快い返事をもらうと、ラスクはお店の外に出ていって手を振っていた。

 ほどなくして、銀髪に赤い目をしたラスクの姉がお店に入ってきた。
「ラスクの姉のカリンと申します。よろしくお願いしますね……」
 ラスク同様童顔気味で年相応に見えない顔立ちだが、胸があるおかげでそこまで若くは見えなくなっている。それほど大きくはない自然な大きさであるが、ほぼ真っ平らな私からしてみるとちょっとうらやましい思いもある。だが、いろいろ話してみると実に面白い話をする人である。そんなカリンが興味を抱いたのは、私の作品だった。
「面白い話を書いていると聞いたのですが、もしよろしければ拝見させてください」
 私はカリンに原稿を手渡すと、カリンの口元がにやりと笑ったような気がした。そして私の原稿を読み終わったカリンは親指を立てる。
「本当に、面白い話を書きますね。今度有明でお祭りがあるのですが、私のサークルで出す本に小説を載せてみませんか?」
 同人誌を頒布する年に二回のお祭り、コミックマーケットというのがあるとは聞いていたが、まさか書いてみないかと言われたのは初めてだった。もちろん、私は二つ返事で快諾した。
「義姉さん、仲間が見つかってよかったですね……」
 ハオランも私たちの方を見ている。微笑みを浮かべつつ応援の視線を送るラスク。そして竜神様は目を輝かせて私たちの方を見ている。
「いい本ができることを、楽しみにしていますよ!」
 ポンと竜神様に肩を叩かれた私は、新たなる活躍の舞台に胸を高鳴らせるのだった。

次に続く・・・