井の頭公園のエルフの物語#4(メタバース連載小説)
ー君の笑顔でも治らない病(前編)ー
るいざ・しゃーろっと
草津よいとこ一度はおいで
お湯の中にも花が咲くよ
お医者様でも草津の湯でも
惚れた病は治りゃせぬよ
惚れた病も治せば治る
好いたお方と添や治るよ
??草津節
ゴールデンウィークも過ぎてしばらく経った五月の日曜日、井の頭公園のラスクちゃんの話を書き上げた私はいつもの友人である竜神様といつもの居酒屋に向かっていた。竜神の娘は見た目は若そうに見えるが、今度はしっかり大人びた服装で現れている。
「お待たせっ。お、原稿、できたのかな?」
この地の守護神であり大家である彼女の頼みとあっては、私も書かない訳にはいかないのだ。普段は筆の遅い私だが、その時は寝食を忘れて一週間ぐらいでこの話を書き上げてしまったのだ。その時の原稿を見てもらおうと、私はゲラを封筒に入れて彼女の元に持っていくことにしたのだ。待ち合わせ場所は、井の頭公園の駅前。今回は私に紹介したい人がいるということでお店に直接入らずにコンビニエンスストアの前で待ち合わせることにしたのだった。
ほどなくして現れたのは、二十歳を過ぎているとはとても思えない若い見た目をした青年だった。彼が、ハオランか。それにしても、今日は恋人のラスクは来ていないようだ。
「あの時は、お世話になりました……」
ぺこりと頭を下げるハオラン。どうやら、ラスクの機嫌を取りに旅行に連れて行きたいらしい。
「そういうことか……なら、いいところがあるな。続きはカウンターで……」
のれんをくぐり、今日も杯を交わす。いろいろ聞いているうちに、私はハオランが一つの病に冒されていると気付いたのだ。ラスクのことを思うばかり、無理をしているようだった。
「そういうことか……なら、万病に効く何かを試してみるのはどうだ?」
私の何気ない一言に、驚いたような目をして見つめるハオラン。
「……大丈夫です、彼女の笑顔は万病に効くのです。だから、彼女の笑顔があれば、僕はがんばれます!」
どう考えても、空元気にしか見えなかった。そして、その病が何か、私は見抜いていた。これは……恋の病であると。ならば、万病に効く草津温泉で万病に効くラスクの笑顔を見つめたらよくなるだろう。好いたお方と添や治るのだ。しかも、最近の草津温泉には水着着用ではあるが混浴もある。距離を縮めてくるのも妙案だ。
「お、よいですね、二人で行ってくるのはよいんじゃないんですか?」
竜神様もポンと手を叩く。一方、ハオランの顔はトマトのように真っ赤だ。
「そうと決まれば話は早い……二人分のチケットを予約してくるよ」
お猪口を口に運びつつも、私の頭はどういう旅を楽しんでもらうかで一杯になっていた。
「私はこの地を護らなければならないので遠出はできませんが、楽しんできてくださいね。お土産話、楽しみにしています!」
屈託のない笑顔で竜神様がハオランの手を握る。本当によいのかと目を白黒させるハオランに竜神様は笑顔で励ますのだった。
「あの時、ご迷惑をかけてしまったお詫びってことで……お二人で楽しんできてくださいね!」
ありがとうございますとばかりに首を縦に振るハオランだった。彼らが旅行から帰ってきた後に私たちはこの話を聞かされたのだが、あわてて書き留めたのがこの話になるのだ。
青々とした木々の茂る道を抜けていくバス。道に刻まれた溝が民謡を奏でながら、そのバスは湯の町に向かっていた。目指す先は草津温泉、万病に効く温泉だという。ハオランは窓の外を眺めつつ、隣ですやすやと寝息を立てているラスクの顔を見つめていた。あの時は、さすがにデリカシーがなかった。他の女性に目を向けてしまうなんて、なんともったいないことをしたのだろう。彼女は昔からの付き合いであるがゆえに、自分のことは何もかも知っていることにハオランは薄々気がついていた。至らないところのある自分ではあるが、彼女にいろいろと心配をかけてしまったとちょっと反省しているのだ。おまけにやけになってサキュバスにしこたま酒を飲まされて救急車で運ばれるという失態まで犯している。救急車の中で彼女が自分の手を握っていたぬくもりは、今も覚えている。申し訳ない思いを二人で癒やそうと考えていたところに、あの池の竜神様から今回の旅行のチケットをもらったのだった。
やがて、バスは高原の温泉街にあるバスターミナルに滑り込んだ。ハオランはこの街に溢れる湯の香りを嗅いでいた。隣では、まだラスクが寝息を立てている。ハオランはそんなラスクの肩を叩く。ぼんやりと目を開けるラスクは窓の外の景色を見るとバスが草津温泉にたどり着いたことを知ったようだ。
「あ、着いたのね……まずは、チェックインね?」
寝ぼけ眼をパチパチさせながらラスクはタラップを降りる。その一方、ハオランはスマートフォンで宿の位置を調べていた。どうやら、ここから遠くはなさそうだ。
「さ、行きましょ。今日と明日は水入らずね……」
屈託のない笑顔をラスクが見せる。彼女の笑顔は万病に効くのだ。恋の病に効くのかは微妙なところであるが、いっしょにいるということがハオランの心の薬にはなっているのだろう。これからの三日間は高原での息抜きができるのだ。おいしい料理を食べてお風呂で身体を温めて……そして、距離を縮めよう。あの時に迷惑をかけてしまったお詫びだけではなく、これから彼女といっしょに生きていたいのだという気持ちをしっかりハオランは抱いていた。まだ、渡したいものを渡すわけにはいかないが、アルバイトの給料をつぎ込む覚悟は出来ている。そんな気持ちを固めつつ、ハオランはラスクの手をとって宿への案内を始めるのだった。
だが、その宿にたどり着くまでに、こんな難関が待ち受けていようとは。空気の薄い高原に、長い階段。ちょっとハオランは息が苦しくなる。それはラスクも同じだった。
「坂……結構あるね。荷物持とうか?」
ハオランに重荷を委ねるラスク。ラスクの荷物も背負ったハオランは相当つらそうだ。だけど、ラスクの中には前向きにがんばろうとするハオランの姿が見えていた。あの日から、少し大人びた感じがする。ちょっと背伸び、いやちょっと無理しているようには見えるけど、一生懸命がんばっているんだなと。汗だくになりながら二人分の荷物を持つハオランの姿は、健気さを感じていた。彼を支えていきたいという気持ちが芽生える。これから先は、どんな坂でも登って行けそうだ。ラスクの顔は、自然と笑顔になっていた。
「すっかり、成長したわね……」
彼の世話を焼いていた頃が、懐かしく思えてくる。優しくはあるのだが、不器用な彼。そんな彼を心配して、今まで生きてきた。でも、あの花見の日の一件以来ハオランは無理しているような気がする。これ以上無理をさせないためにも、私は彼と手を繋いで生きていこう。甘酸っぱい思いが、お互いの心の中に生まれているのだった。
「予約していたハオランと申します」
宿のカウンターで手続きをするハオランの姿に、ラスクは成長を感じていた。すっかり私たちは大人になったと。もうお互いお酒を飲める年齢なのだ。あのお花見の時は深酒をしていたけど、それも全部サキュバスのせいだということもわかっていた。それは私が短気になって別れを切り出してしまったからでもあるわけで……。でも、今のハオランは背伸びをしているようではあるが、一生懸命私を見ている気がする。ラスクはそう感じていた。恋人のために一生懸命になっているハオランの様子に、ラスクは高鳴りを感じていた。
手続きが終わり、二人は部屋へと通された。ちょっと早めのチェックインで、これから昼食の時間だ。ラスクはハオランがお昼の予約を取っていたことに驚きを隠せなかった。泥棒を捕らえてから縄を編むようなハオランがお昼の予約を入れているという。しかもおしゃれなイタリア料理のお店だ。ひとまずお昼と温泉の用意をして、彼らは草津の街を散策することにしたのだった。
「ここが、湯畑……あ、この名前は……与謝野晶子?」
湯畑の柵には草津を訪れた著名人の名前を刻んだプレートが掲げられている。歌人・与謝野晶子の名前を見つけたラスク。と思ったら、ハオランは別の人物の名前を見つけたらしい。
「力道山……なぜ与謝野晶子は力道山にレターパックで現金を送らなかったのか……」
全く関係のない二人であるが、どうやらこの二人のドリームマッチが行われたことになっているらしい。そして、レターパックで現金を送るというネタまで合わさっている。
「レターパックで現金送れ……」
ラスクがぼそりとつぶやく。それに対してハオランも返事する
「……はすべて詐欺です」
くすりと笑う二人。
「にゃんぷっぷー」
二人は異口同音でこの言葉を発していた。
次に続く・・・